2005年11月18日

実録ビザ取得への道 その63

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

会社に迷惑をかけたくないという思いから、ビザ取得予想時期の半年前に会社への半年後の退職願を行った。会社側は、数日で結論を出した。4月末のことだった。
会社側の結論は、6月いっぱいで駐在を終了し、その後直ちに本社に戻り退職手続きを行うということだった。私としては、せめてもの償いに早めの報告を行ったわけだが、完全に裏目に出てしまった。
米国内でビザ申請を行った場合、面接までは米国を出ないことが原則である。もちろん出国は可能なのだが、それが原因で書類審査が大幅に遅れたり、最悪却下 になってしまうこともある。また一旦駐在員ではなくなると、再入国時にはビザ無しとなってしまう。あらゆる面から見て、当初の目論見が覆されてしまう。大 ピンチだ。
もちろん会社にはそれは困るとは訴えたが、「辞めたいという人間をいつまでも置いておくわけにはいかない。」との答え。ある意味当然であり、自分の早まった行動が首を絞める結果となった。



今考えると、本当に浅はかだったと思う。会社側の答えは、冷静に考えれば十分に予想される内容だ。また、今考えると、会社 とは色々と交渉の余地もあったと思う。しかし、当時の私は会社の命令は絶対との意識が働いていた。辞めると言いつつも、サラリーマン根性が染みついていた のだ。
やむを得ず、すぐに弁護士に今の状況を説明した。やはりかなりまずい状況で、会社の言う通りにするとビザも取れなくなるかもしれないと言うことだった。し かし、6月末いっぱいで駐在員ではなくなり、7月頭には一時帰国しなければならない、これは変えられないと訴えた。これでここまで進めてきたビザ取得のプ ランは振り出しに戻ってしまった。
絶体絶命と思われたが、弁護士は別の案を提示してくれた。まず、10万ドルを用意すること。これは、弁護士に支払う額ではなく、会社の資本金となる。 Vintage Computer のバンクアカウントに残高があればいいわけで、10万ドル使ってしまうわけではない。これだけの資本金のある会社にすれば、投資家ビザのE2ビザを申請す ることが可能で、特急で手続きを行えば2ヶ月で取得も可能と言うことだった。つまり7月の出国に間に合う計算だ。しかも、3年+3年の期限付きのH1-B とは違い、E2は無期限に更新が可能。
H1-Bより数段有利なビザだ。もちろん、最初からE2にする手もあったわけだが、10万ドルを集めるのは難しいと答えたため、まとまった資金が不用なH1-Bにしたわけだ。
事ここに至っては、
10万ドルは難しいなどとは言っていられない。実際、集めるだけなら何とかならないでもない額だ。
早速、特急で手続きを開始した。また一からやり直しだ。
Vintage Computer は 既に設立済みだが、出資者を変更しなければならない。H1-Bの時は、自分の会社では自分自身をサポートできないために、日本の協力者に51%の出資者に なってもらった。せっかく協力してもらったのだが、E2なら投資家自らの会社でサポートが可能だ。私と妻で100%出資の会社とする。これは結構気持ちが 良い。
それからは本当に時間との戦いとなった。申請はやり直しとなるので、書類も多くは作り直しだ。そうして、不眠不休で作業を行い、デッドラインの5月中旬に はなんとか申請の書類が整った。また、金策も何とか目処が立った。あとは無事に6月いっぱいに面接を行えることを願うばかりだ。
そうして、6月に入ると二つの知らせが舞い込んだ。そのうち一つは思ってもみない内容だったのである。



vintagecomp at 10:50│Comments(0)TrackBack(0)起業 

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