起業

2019年09月05日

20周年昔話 最終回

20周年記念最終セールも終わり、そろそろこの昔話もまとめないといけませんね。最終回です。

1999年7月5日に、Vintage Computer としての業務を開始しました。当時のWEBサイトは、お客様が商品の一覧表を見て、フォームメールにご希望の商品をコピペして申し込んでいただくという、今考えると大変原始的なものでした。お支払い方法も、当初は銀行振込のみ。
当時一部ではネットバンキングも開始されていましたが、利用している銀行ではまだ使えませんでした。そこで、お客様に「振り込みました」の連絡をいただいたら発送していました。今だから言えますが、本当に振り込まれたかは、翌月にならないとわかりませんでした。それでも、お支払いに関して問題が起きたことはなかったですね。本当に、お客様に恵まれたと思います。

当初は、コンピュータースワップミートと開始間もないeBayが主な仕入先でしたが、その後は、メーカーやディストリビューターとの取引も増えて、取扱商品も増えていきました。
お支払い方法も、程なくクレジットカードを扱うようになり、ヤマト運輸や日通の日系キャリアを利用できるようになると代引きも可能になりました。ショッピングカートも導入し、WEBショップらしくなっていきました。

当初は社名の通り、Old Mac関係が主体だった取扱商品も、Appleという軸はそのままに変遷してきました。
これまでも、何度か転換点はありましたが、 その都度次の主力商品の開拓に成功して20年間やってこれました。実は今、Macもアップグレードができない機種が主体となり、転換点に差し掛かっています。25周年、30周年と迎えられるよう、またVintage Computerも生まれ変わっていきたいと思います。

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2019年08月28日

20周年 昔話12

無事VISAも取れて、T社アメリカ法人最後の日となりました。米国法人には、日本からの駐在員がいるので、定期的にお別れがあります。最終日の午後三時に、皆で集まってケーキやスナックを食べながら挨拶をするのが恒例でした。自分は自主退職なのでないと思っていましたが、ありがたいことに同じようにお別れパーティーを開いてくれました。

関係の深いスタッフには周知されていましたが、関係の薄いスタッフには初耳で驚いた人も多かったようです。もちろん、このような形で駐在員が退職するのは、初めてのことでした。このパーティーでは、ちょっと印象的な反応がありました。

日本人駐在員は、一様にネガティブな反応でした。
 ・会社に迷惑をかけて、困ったやつだ。
・せめて駐在が終わるまで待てなかったのか?
・この、裏切り者!

ある意味、当然の反応ではあります。それに対して、米国人スタッフの反応はまるで違いました。
・こっちで、ビジネスを始めるんだって!すごいね!
・夢が叶うんだね。おめでとう!
・なんて、素晴らしい! 

多少予想はしていましたが、ここまで正反対とは思いませんでした。 こういうアメリカ人の空気に後押しされたというのもありますね。
米国法人最終日が1999年6月最終日。7月4日が米国独立記念日のお休みですので、それまでに準備をして、 いよいよ7月5日にVintage Computerとしての業務を開始します。

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2019年08月22日

20周年 昔話11

いよいよCiudad Juarezのアメリカ領事館で、E-2 VISAの面接に臨みました。
面接は個室にはなっておらず、待合所からもその様子が見えます。 色々と聞かれている人もいて、緊張が高まリマス。ついに自分の番。

面接官が書類に目を通し、いくつか質問をするが全て弁護士への質問。弁護士はそつなく答えてくれます。このまま終わるのかと思ったら、私に向けての質問。
面接官:「この会社は、カリフォルにはにあるのか?」 
私:「はい、カリフォルニアのTorrance Cityにあります。」 

ここで、足に痛みが走りました。なんと、弁護士(美人さん)が足に蹴りを入れたのでした。前日、必要最小限の答えしかするなと口を酸っぱく言われたが、「はい」以外は余計でした。しかし、面接中に蹴りを入れるとは。幸い、面接官は気にする様子はなく、「これで終わりです。」と終了。
弁護士が、「5年でしょうか?」と聞くと、「Yes」の答え。やった、満額の成功!特訓はあまり意味がなかったが、成功ならなんでも良い。

E-2 VISAの期限は、最長5年。その後、条件さえ満たせば何度でも更新が可能です。無事、5年取得となりましたが、当時はE-2 VISAは5年が一般的でした。最近は厳しくなっており、バックに大手企業が付いているようなガチの案件を除き、最初は2年程度となるのが一般的なようです。

この日は、確か1999年6月28日頃だったと思います。6月30日にT社の米国法人を退職して、7月に日本の本社を退職することになります。


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2019年08月15日

20周年 昔話10

超特急でE2ビザ(投資家ビザ)に申請しなおしたのが1999年5月上旬。本当に、アメリカ法人を辞める6月いっぱいにビザは取れるのか? せめて7月中にと思っていましたが、6月末に面接日が決まりました。ここまでくれば、面接でヘマをしない限りビザは下りるとのことでした。しかし、逆にいうとヘマをすれば下りないという可能性も。実際に、何気なく答えた内容が問題となり、下りなかった事例もあるそうで油断できません。

弁護士からは、想定質問と模範回答事例をもらったので、面接までに特訓です。20年以上前なので正確に覚えていませんが、一例として以下のような想定質問がありました。

・グリーンカード(永住権)の取得を希望していますか?
模範回答:No
危険な回答:もちろん、希望します。
あくまでビジネスのためにビザを申請しているか、米国に住むことが目的でないかの確認。

ビジネスをする上でも、ほとんどの制約がなくなるグリーンカード(永住権)。長く米国に住んでビジネスをやろうという人で、希望しない人はいません。これがYesで致命傷になることもあるそうです。
こんなひっかけ問題も多々あるので、油断できません。また、質問内容のみに端的に答え、余計なことは一切言わないようにとのことでした。つまり、上の例ではNo 以外は言わないということです。

場所は、テキサスの南端の街El Pasoの国境の向こう側、メキシコのCiudad Juarezのアメリカ領事館。前日にEl Paso入りして、翌日の面接に備えます。弁護士もEl Pasoで合流して同行してくるれので、かなり心強いです。El Pasoのホテルで弁護士と最終特訓。翌朝、陸路で国境を越えCiudad Juarezのアメリカ領事館に向かいました。いよいよ面接です。

面接地のCiudad Juarezですが、元々治安はよくありませんでしたが、それでもそこまで不安ではありませんでした。2008年頃から麻薬組織の抗争で、白昼に銃撃戦が起きるほどに治安が悪化し、世界で一番危険な都市と言われるまでになりました。ビザの面接も不可能になってしまったそうです。 

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2019年08月06日

20周年 昔話9

昔話7で、弁護士が提示した方法は2つありました。

プランA:ややトリッキーな方法で会社を設立し、その会社にビザをサポートしてもらう。費用は低め。
プランB: 普通に会社を設立し、投資家ビザを取得する。ある程度の資金が必要。

これまで、プランAで進めていました。何と言っても、費用が少なくて済むのが魅力でした。ところが、プランBに切り替えて特急で申請すれば、7月までのビザ取得に間に合わないこともないというのです。

投資家として、ビジネスにある程度の額を投資することでビザが下ります。移民局を通すことなく、アメリカ大使館、領事館に申請手続きをできるので、スピーディーな対応が可能ということでした。日本人なら、日本のアメリカ大使館、領事館に行くことになりそうな気がしますが、実は他の国でもOK。世界中のアメリカ大使館、領事館の中には、申請後速やかに対処してくれるところもあるのです。しかも、それがアメリカ国境沿いのメキシコの街にあるというのですから、助かります。
また、投資家ビザの有効期限は5年間で、条件を満たせば何度でも更新可能。プランAよりも有利な点が多かったのです。

問題はビジネス、つまりVintage Computeへの投資金です。 しかし、当時は相応のお金が銀行口座にあることを示し、ビジネスプランとして今後の投資計画を示せばよかったのです。持ち金全部かき集めれば、見せるだけならなんとかなりそう。
こうして、急遽大急ぎで プランBに切り替えることになりました。

なお、現在では必要な投資金額も倍以上に上がり、ただの見せ金ではなく実際に投資を行う必要があるそうです。また、メキシコの領事館に申請することもできなくなったようです。
とは言え、アメリカで起業する場合に、いまでも有力なビザ取得方法であると思います。 

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2019年08月01日

20周年 昔話8

久々の20周年昔話です。

ビザの申請も終わり、基本的には待ちになりました。1999年4月になって、弁護士事務所から連絡が。
申請は移民局に無事受理され、秋くらいに面接があり、ビザが下りる見込みです。

やった! さらに前進です。あと半年後には退職して、Vintage Computerを始められそうです。 そうなると、そろそろ会社に報告しないといけないのではと考え始めました。ビザが下りてしまえば、一刻も早く Vintage Computerを始めたいと思いました。激務の駐在員、新しい駐在員が来て引き継ぎとなると、早くても半年はかかるはず。ならば、今がそのタイミングか?

ちょうどじGeneral Manager級の上司と人事面接のタイミングでしたので、そこで報告する決心をしました。私はLAオフィス、上司はアリゾナのオフィス勤務。 アリゾナに出張して、面接となりました。

いよいよ面接。単刀直入に会社を辞めてアメリカで起業することを伝えました。新しい駐在員を派遣してもらい引き継ぎを行う半年をめどに退職させてほしいと伝えました。上司は驚いてはいましたが、すぐにLAの副社長に連絡していました。
アリゾナからLAに戻り翌朝、当然ながらすぐに副社長から呼び出しを受けました。
「気が狂ったか。そんな仕事をここで始めるなんて、うまく行くとは到底思えん!」
と言われましたが、改めて本気であることを伝えました。

この件は人事へと委ねられ、今後について決まりました。6月いっぱいでアメリカ法人を辞め、7月に日本本社を退職と決まりました。
あれ!? 秋に引き継ぎまで済ませて辞めるつもりだったのに! 人事にはその旨再度伝えましたが、決定事項ということで、取り合ってもらえませんでした。

うーむ、退職して即 Vintage Computerを始めるつもりだったのに大誤算です。アメリカ法人を辞めた時点で、ビザは失効し面接までの数ヶ月は日本で待たねばいけません。これを読んでいる方は、日本で少し骨休めをするのも良いのでは?と思ったかもしれませんし、今私が考えても、それもありかなと思います。しかし、当時の私には絶望的に思えました。空白期間無しに、少しでも早く始めたかったのです。
そこで、例の敏腕弁護士に連絡しました。開口一番
「あんた、バカじゃないの?」
と言われました。日本では辞意を伝えても、ちゃんと引き継ぎするまで辞めさせてもらえないケースが多いと思います。私も、そのつもりでの行動でした。しかし、アメリカでは辞意を伝えた途端に退職になるケースが多いのです。2ヶ月少々在籍するというのは、日系法人ならではだと思います。
ともかくも、なんとかVintage Computerを7月に始める方法はないかと弁護士に訴えました。すると、なんとかならんこともない、というのです。

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2019年07月19日

20周年 昔話7

6/28以来、久しぶりの20周年 昔話です。

最初の移民弁護士には、現実的でない方法しか提示されず落胆。前回は、日系の弁護士さんでしたが、今回は南アフリカ系の弁護士事務所です。事情を話すと、早速具体案が提示されました。

プランA:ややトリッキーな方法で会社を設立し、その会社にビザをサポートしてもらう。費用は低め。
プランB: 普通に会社を設立し、投資家ビザを取得する。ある程度の資金が必要。

プランAは、本当にこんなことして良いの?というややグレーな方法だったと思います。ちょっとリスキーな方法でも、提案があること自体頼りになります。プランBは、ある程度の投資を行い事業を行う場合に取得できるビザです。アメリカで自分で起業してビザを取ろうという場合、正攻法と言える方法でしょう。プランAはともかく、プランBが最初の弁護士から提案されなかったのが不思議です。弁護士選びは、とても重要ですね。
当初プランAで進めたのですが、色々あって結局プランBに変更することになりました。Vintage Computer LLCが1999年2月に設立されました。とは言え、未だ駐在員で新たなビザは取れていない状態。まだ、ペーパーカンパニーです。この先、ビザの取得と駐在員として勤めている会社を辞めるという大仕事が待っています。

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2019年06月28日

20周年、昔話6

20周年記念セール中です。今週末までです。お見逃しなく。

期間 6月19日(水)〜6月30日(日)(日本時間) 
内容 商品総額1万円以上お買い上げで全商品10%引き

20周年昔話6回目です。

趣味で始めたOld Mac関係の個人売買、だんだん繁盛して仕事としてやれるかもしれないと思い始めました。今は駐在員の激務の合間をぬってやっているが、専業なら軽く倍以上は行けるだろうという、あまり根拠のない確信がありました。倍行ければ、取り敢えず食うには困りません。妻にも手伝ってもらっていて、賛同を得ることができました。
日本だったら、あとは実行するだけなのですが、ここはアメリカ、ビザという難関があります。駐在員としてビザをもらっている身、他の仕事はできないし、駐在員を辞めればそのビザも失効します。新しい仕事ができるビザが必要です。周りの永住している日本人はというと、以下の人が多かったです。

1. 永住権(グリーンカード)の抽選に当選
2. 働いている会社にビザや永住権をサポートしてもらう。
3. アメリカ人と結婚して永住権

1は抽選に応募はするとして、そうそう当たるものではありません。起業してT社をやめようというのですから、2もだめ。結婚しているので3もダメです。4はないのか?
起業してなんとかビザを取得できないか?と知人に聞いても
「そんなの無理に決まってるじゃん。」という人が多数。そんな中
「移民弁護士に相談してみたら?」
とのアドバイスも。確かに専門家に聞くのが一番です。早速、日系の移民弁護士に相談に行きました。その結果、提示されたのは1と2。
1は応募はするとして、当てにはできません。
2は、当地で就職活動をして永住権(グリーンカード)をサポートしてもらえというのです。
「いや就職したいのではなく、起業したいのだ」というのですが
「永住権が下りるまでは、そこでは働けない。下りたら、諸事情で働けなくなったと辞退すれば良い。」というのです。 これは人の道に外れるし、そもそもそんな条件で永住権まで面倒見てくれる就職先があるとも思えません。

やっぱり無理か〜、と落胆したのを覚えています。それでも、もう一つ別の移民弁護士に相談することにしました。

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2019年06月27日

20周年、昔話5

20周年記念セール中です。残り期間、少なくなってきました!

期間 6月19日(水)〜6月30日(日)(日本時間) 
内容 商品総額1万円以上お買い上げで全商品10%引き

20周年昔話5回目です。

1998年初め頃に出張先でネットサーフィンしてたまたま見つけたサイト、Macや関連パーツが信じられない価格でずらりとリストされています。いや、いくらなんでもありえない価格。
実は、今では有名なeBayです。まだ、オークションを開始してそれほど経っていない頃で、急成長していた時期です。日本ではほとんど話題になっていなかったように思います。いくらなんでもあり得ない価格は、それもそのはずで、スタート価格やまだ上がっていない価格を見ていたからでした。しかし、コンピュータースワップミートでもなかなか手に入らないMacやパーツがたくさん出品されていました。今やプロストアの出品が多いですが、当時は個人のSellerが多かったです。
早速目ぼしい商品にビッド。最初は競り負けたり、無駄にせり上げて高掴みしてしまったり、失敗も多かったですが、段々とコツを掴んできました。毎晩、目ぼしい商品をリストアップしては、夜は自分で、日中は妻に終了直前に落札してもらいました。Portableなんかのレアマシンも、eBayで結構見つけました。
コンピュータースワップミートもeBayもそうですが、本体もパーツも必ずしも動くとは限りません。そこで、テストをして必要に応じて修理を行うことも必要です。週末はその作業で大変です。

こうして、あくまで趣味でやっていた個人売買ですが、 品揃えも充実し売り上げも上がっていきました。これって、もしかして仕事としてやっていける? そう思ったのが1998年の秋頃でした。

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2019年06月26日

20周年、昔話4

20周年記念セール中です。

期間 6月19日(水)〜6月30日(日)(日本時間) 
内容 商品総額1万円以上お買い上げで全商品10%引き

20周年昔話4回目です。

さて、手探りで始めたOld Macの本体やパーツの個人売買、開始してみると注文、問い合わせがドッと入りました。買いすぎとなっていた在庫商品は一気に履けました。個人売買ですからクレジットカードは使えず、支払いは銀行振込のみ。当時はネットバンキングが開始された頃でしたが、私が使っていた銀行はまだ非対応。振込連絡をお願いしていましたが、その確認は翌月以降に明細が送られてくるまでわからなかったのです。もちろん、振込連絡があればすぐに発送していましたが、よくこんな仕組みでやっていたものです。
こうなると、毎週コンピュータースワップミートに行っては買い付けです。また、たくさん買って行くので売り手の人達からも「うちの倉庫にもっとあるから、見においでよ。」と言われたり。ちょっと治安の悪い不気味な地域に行ったりもしましたが、そこでも大量買い付けしてきました。
また、お客様からのご要望や問い合わせも色々いただき、売れ筋商品もわかってきました。もちろん、ウィークエンド以外は忙しい駐在員の仕事があるので、発送などは妻が対応してくれました。

こうやって、個人売買コーナーも品揃えが豊富になっていきましたが、週末のスワップミートだけではやはり商材が限られてしまいます。そんなある日、出張で1週間ほどカナダの田舎町に出かけました。拠点には、出張者が共用で使用できるパソコンがあり、ネットに繋がっていました。そこで、休み時間にMac関係の検索をしてネットサーフィンをしていました。まだ、Googleもない頃です。そこで見つけたサイトに、驚愕しました! 

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2019年06月22日

20周年、昔話3

20周年記念セール中です。

期間 6月19日(水)〜6月30日(日)(日本時間) 
内容 商品総額1万円以上お買い上げで全商品10%引き

20周年昔話3回目です。

ロサンゼルスのコンピュータースワップミートに行きました。まずはその規模の大きさにびっくり。そして、古いMacも山と積まれています。
Pacintosh PlusやSE/30などのコンパクトMacがいっぱい。中には、128Kなんかも。Macintosh IIsi, IIci, IIfxなどのIIシリーズも目立ちます。GSキーボードやKeyboard Iなどのアクセサリー、NubusビデオカードやDaystarのアクセラなんかもあります。
しかも、動作保証なしジャンク扱いながら、本体$20、カードやアクセサリーは$10といった価格で販売されています。

ウォ〜〜 、これは宝の山!! 

当時日本でもOld Macブームがあり、SE/30やColor ClassicなどのコンパクトMacが人気でした。私も、SE/30と Color Classic II を中古ショップで見つけて買って、アメリカにも持ってきていましました。

そもそもは自分のコレクション目的だったのですが、 あまりの珍しさと安さに、大量に購入してしまいました。とても、全部保有できません。
ちょうど妻がMacなホームページを持っていました。そこで、ホームページに売りたしコーナーを開設して、日本向けに個人売買をしてみることにしました。

妻はプログラマーで職場でMacを使っていました。私はと言えば、大のコンピューター嫌い。1995年末、世の中がWIdonws 95で沸いている頃、妻は一人でPerforma 6210を買ってきました。増設メモリと、モデムも一緒に。そして、セットアップをさっさとやって、プロバイダを契約、ホームページまで作ってしまいました。
そんな様子に影響されて、私もMacに興味を持ち、段々とはまっていったのでした。

いくら安く手に入れたとは言え、日本への送料は結構かかるし、ましてや見ず知らずの海外の相手との個人売買。果たして反応は、あるのでしょうか?

 

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2019年06月21日

20周年、昔話2

20周年記念セール中です。

期間 6月19日(水)〜6月30日(日)(日本時間) 
内容 商品総額1万円以上お買い上げで全商品10%引き

20周年昔話2回目です。

ロサンゼルス赴任後、パソコンショップに行ってもMacは冷遇されているし、Macの本場と思い楽しみにしていたのにと残念に思いました。そんな中、日本人のApple ユーザーグループ虫喰いリンゴの会が存在することを聞きつけ、早速見学に行きました。駐在員というと、駐在員どうしのお付き合いが主で、なかなか永住している日本人との付き合いはないものですが、そこは会員の皆さんの多くは永住組の日本人でした。1997年当時、まだネット情報は少なく、Mac関係の情報を得るには本などの紙媒体や、詳しい人に教えを請うのがメインでした。当時虫喰いリンゴの会には精鋭のパワーユーザーが揃っており、私もMac好きが高じてかなり詳しい方でしたので、すぐに打ち解けました。

アメリカのパソコンショップのMac関連の品揃えがイマイチという話をしていると、コンピュータースワップミートが面白いよ、という話を会員から聞きました。ほぼ毎週末、ロサンゼルス近郊で、中古パソコン、パーツのスワップミートが開催されているというのです。

早速週末に足を運んでみると、広大な駐車場にたくさんのショップが連なっています。Macの本体やパーツもたくさん。ちょうどAppleの最悪期だったので、オフィスから処分されるMacも多かった時期なのだと思います。そこで、私が見たものは・・・ 

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2019年06月20日

20周年、昔話1

20周年記念セール中です。

期間 6月19日(水)〜6月30日(日)(日本時間) 
内容 商品総額1万円以上お買い上げで全商品10%引き

20周年ですので、当時の昔話を。

22年前の1997年 10月に、T社の駐在員としてロサンゼルスに赴任しました。その頃は、3年から5年で日本に帰国するものと思っていたのですが。当時からMac好きだった私は、早速最初に目についたBest Buyに行ってみました。アメリカ通の方はご存知と思いますが、Best Buyは当時から今に至るまで家電量販店のトップで、パソコン販売にも力を入れていました。その中にはMacコーナーもあったのですが・・・
展示されていたMacは、日本のパソコンショップとは違い、旧機種が3台展示されていました。その中には、なんとPower Mac 6100が。と言っても22年前のことだけに、今となってはどうすごいのかわかりにくいと思いますが、Power Mac 6100の販売期間は1994年から1995年。2年も前のマシンが、堂々と展示されていたのです。もちろん、中古コーナーではないのです。Macの本場と思って期待していたのに、場末感に大いに落胆したものです。
Power Mac G3の発売が1997年の11月、初代iMacの発売が1998年の5月です。スティーブ・ジョブズのアップル復帰が1997年の7月ですから、内部ではアップルは生まれ変わりつつあったのでしょうが、外からみればまさに最悪の時期でした。そんな中、販売店のMacの扱いも酷いものだったわけです。

ジョブズ復帰後、多くの量販店との販売店契約を打ち切ります。量販店はComp USAのみとの契約となりました。確かStore in Store の名前で、充実したMacコーナーを設置しMacに精通した販売員を置くことを義務付けました。もちろん、Apple Storeはまだ存在しない頃。こうして、化石のようなMac販売コーナーは一掃され、Power Mac G3やiMacの発売もあり、急速にAppleは息を吹き返して行きました。

ロサンゼルスに赴任した頃は、ちょうどそんな時期でした。 

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2010年11月19日

熊日新聞から取材を受けた

ただいま日本に一時帰国中です。現在、故郷の熊本に滞在中です。おかげで、ブログを大分お休みしてしまいました。

ひょんなことから、熊本日々新聞の取材を受けました。熊本出身の私が、駐在員としてロサンゼルスに行った後、現地で起業をしたということに興味をもっていただき、取り上げていただくことになりました。

取材は、約1時間。みっちりと色んなことを聞かれました。これだけ聞かれたら、全面の記事になりそうですが、実際は小さなコラム記事になるようです。写真も撮りましたので、記事に載ると思います。
考えてみると、雑誌には記事執筆していた関係で多々載ったことがありますが、新聞は初めてですね。
いつ掲載されるかはまだ決まっていないそうですが、明日辺りになりそうです。熊本の方、ぜひ紙面を確認してみてください。

追記:11/30の経済面、「ひと ヒト」のコーナーに掲載されました。


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2009年06月03日

10年前のVintage Computer4

10周年と言うことで、10年前のVintage Computerを振り返ってみたいと思います。
当時は、脱サラ直後でお金も無い。自宅アパートのガレージを作業小屋にして、ショップ運営を開始しました。当時のガレージの様子がこちら。

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当時人気だった、SE/30, 128K, Portableなどが所狭しと並んでいます。当時は、このようなOld Mac 本体やその周辺機器が大人気でした。この写真、当時サイト上に公開していましたが、お客様から「写真に写っているQuadra 700 箱をぜひ譲って欲しい。」とご連絡をいただいたり、思いがけない反響がありました。

こちらは現在のオフィスの店舗スペース。

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店舗スペースは小さいですが、奥には広い倉庫スペースがあり、全体の広さは約200平米。

10年間で、色んな事が移り変わりました。


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2007年02月14日

テレビに出演5

ロサンゼルスでは日系社会が充実していますので、ロスローカルの日本語テレビというのが存在します。本日、その「アメリカン★ドリーム」という番組に出演してきました。
毎週、アメリカンドリームを達成した日本人をゲストに招いて、サクセスストーリーや苦労話とともに視聴者へのメッセージを送るという主旨の番組です。アメリカンドリームと言うくらいですから、出演者は皆超リッチマンでそうそうたるメンバーです。近く、BENIHANAで有名なロッキー・アオキさんも出演するらしいです。

アメリカンドリームにはほど遠く、最初はそんな番組に私がなぜ?って思ったのですが、トヨタ自動車の駐在員を辞めてアメリカで起業した、というのが番組のネタ的には面白いと言うわけで出演の依頼となったようです。
これからアメリカで起業したい人へ、何らかのメッセージが送れればと思い、出演することとしました。
ロスでのオンエアは、3月の中旬になります。ロスの方は、ぜひ見ていただければと思います。
また、この番組、日本の民放にも売り込みを行っているそうで、今後日本で放映されることもあるかもしれないと言うことです。



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2005年12月21日

実録ビザ取得への道 その9(最終回)4

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の最終回です。

薄氷の思いで、ギリギリ当時の会社を退職前に、独立のための投資家ビザであるE-2 ビザを取得できた。残る出社日は後3日ほどという、本当にギリギリのタイミングだった。というのも、退職すればその時点で駐在員として交付されていたL-
2のビザ資格は、失効する。退職前に、何としても新たなビザ取得が必要だったのだ。
駐在員の身でありながら、任期途中で現地で独立というのは、その会社にとっても異例の初めてのことであり、色々迷惑をかけることになった。そんな形で会社 を去ることになったわけだが、ありがたいことに最終日にはFarewell Party(お別れパーティー)まで開いて気持ちよく送り出してくれた。ここで興味深かったのが、同僚達の反応だ。日本人の同僚達は一様に、「よくそんな 馬鹿なことをやったもんだ。」、「おまえのわがままで、奥さんはかわいそう。」などなど。ところが米国人の同僚達は皆「自分のビジネスを始めるって!? おめでとう。」だった。ある程度予想はしていたが、ここまで明確に別れるとはちょっと驚きだった。

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2005年12月08日

実録ビザ取得への道 その84

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

いよいよビザ取得の最終関門面接のため、国境を越えメキシコ Ciudad Juarez の領事館へ。私の妻(同時にビザ取得になるわけです)と弁護士の他、もう一人の申請者とともに国境を越える。多い時には一人の弁護士で5組ほど受け持つら しいが、今回は少なめでラッキーだった。おかげで、前夜はみっちり予行演習をやることができた。ここでうまくやらないと、5年間のビザ期限を短縮されたり、最悪は却下となってしまう。
待合所で待っていると、面接官と申請者のやりとりが見える。結構色々と聞かれているようで、緊張する。いよいよ自分の番だ。
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2005年12月02日

実録ビザ取得への道 その7

先週はお休みをいただきいた、起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

特急でE-2ビザの取得手続きを進め、何とか目標の時期までに申請を終えたがまだ安心はできなかった。弁護士の予想通りに6月中に面接ができるかどうかは当局次第だ。それも杞憂に終わり、無事6月末に面接を行うとの知らせがやってきた。これで一安心だ。
そして、もう一つの知らせが移民局から舞い込んだ。何と言うことだろう、先に申請していたH1-Bビザの受理の連絡だ。既にその年の受理枠の上限に達しており、来年度回し と予想されていたが、今年度分に間に合っていたのだ。特急で申請しなおした苦労は何だったのだろう。このまま面接を受ければ、近いうちにH1-Bビザをも らえるわけだ。
このままH-1Bビザをもらう手もあるが、E-2ビザも面接日程が決まっており、何かとE-2の方が有利な点が多いので、もったいないがH-1Bビザの方は捨て置くことになった。受理枠に気を揉みながら、待っている人が多いので気が引けるがやむを得ない。


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2005年11月18日

実録ビザ取得への道 その63

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

会社に迷惑をかけたくないという思いから、ビザ取得予想時期の半年前に会社への半年後の退職願を行った。会社側は、数日で結論を出した。4月末のことだった。
会社側の結論は、6月いっぱいで駐在を終了し、その後直ちに本社に戻り退職手続きを行うということだった。私としては、せめてもの償いに早めの報告を行ったわけだが、完全に裏目に出てしまった。
米国内でビザ申請を行った場合、面接までは米国を出ないことが原則である。もちろん出国は可能なのだが、それが原因で書類審査が大幅に遅れたり、最悪却下 になってしまうこともある。また一旦駐在員ではなくなると、再入国時にはビザ無しとなってしまう。あらゆる面から見て、当初の目論見が覆されてしまう。大 ピンチだ。
もちろん会社にはそれは困るとは訴えたが、「辞めたいという人間をいつまでも置いておくわけにはいかない。」との答え。ある意味当然であり、自分の早まった行動が首を絞める結果となった。

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2005年11月10日

実録ビザ取得への道 その5

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

無事H-1B ビザの申請を終え、順調にいけば半年後にはビザを取得できVintage Computerを始められるようになる。後は基本的には待つだけだ。その前に、現在駐在員として働いている会社に報告をしなければならない。
安全策を考えれば、ちゃんとビザが下りてから報告するのが良いだろう。しかし、ビザが下りるまで半年も待たねばならないわけで、下りたら即新しいビジネス を始めたかった。ビザだって3年+3年の期限付きなので、一刻も無駄にしたくはない。となると、「すぐに辞めますので、お願いします。」と言うことにな る。駐在員という立場を考えると、これは会社に多大な迷惑をかけるわけで、できれば避けたかった。駐在員の場合、現地のスタッフが穴を埋めることはできな い。新たな駐在員を派遣する必要があるわけだ。この駐在員の教育やビザ取得を考えると、新たな人員を派遣するには最低半年はかかる。Macという自分の好 きなことでビジネスを始めるという目標ができたわけだが、この会社とは喧嘩したわけでもなく、また米国在住というチャンスを与えてくれたことも感謝してい る。できれば会社にかける迷惑は最小限にしたい。そう考えた。

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2005年11月03日

実録ビザ取得への道 その44

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

というわけで、ビザサポートの母体となる会社の設立から始めることとなった。駐在員として仕事をしながらという微妙な立場なので、私の妻が主体となって設 立を行う。会社設立は、色々大変かと思ったが、あっけないほど簡単だった。数枚の書類に記入して、申請を行ってお終い。実に簡単だ。米国での起業の敷居の 低さを垣間見た思いだった。
会社の形態はLLC。Limited Liable Companyの略で、直訳すると有限会社に近いが、日本の有限会社とはちょっと異なる。社名はVintage Computer, LLCとなった。時々略してLLCさんと呼ばれるが、ちょっとおかしな呼び方と言うことになる。
前回も説明した通り、新会社の出資比率は協力者が51%そして妻が49%となる。名目上の経営者とは言え、51%の出資をしてくれる人を探すのが大変だと 思った人もいることだろう。しかし、新会社の資本金はわずか$100。つまり出資額は$51。これなら繋がりの強い人をあたれば何とかなるわけだ。


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2005年10月26日

実録ビザ取得への道 その34

起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。

弁護士との相談で、ビザ取得は限りなく困難と言われてしまった。物知り顔な知りあいに聞いても、「最近はビザ取得は、ちゃんとしたスポンサーがいない限り難しいみたいだよ」と言われる。やっぱり無理か? でもまだ弁護士一人に聞いただけ、この位で諦めるわけにはいかん。
映画やドラマの世界でも、アメリカの辣腕弁護士はどんな不利なケースも有利に解決してしまう。並の弁護士ではなく、腕の立つ弁護士に相談してみなければ。あちこちに声をかけて、難しいケースでもビザ取得が可能と評判の弁護士オフィスに相談することにした。
電話で予約を取って、相談に出かけた。ここは、弁護士やアシスタントを何人も抱えた移民専門の弁護士オフィスだ。応対してくれたのは、スティーブという白 人男性。一通りこちらの状況を説明して、なんとか米国でビジネスを起こしたいと説明する。この前のように、実質不可能と言われてしまうのか?
「いくつかの方法が考えられる。」スティーブは口を開いた。


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2005年10月15日

実録ビザ取得への道 その2

先週の「実録ビザ取得への道 その1」の続編です。

ロサンゼルス赴任後、1年でMacの個人売買が好評を呼んだ。そこで、これはビジネスとして成り立つのではないかと考え出した。ビジネスとしてやるのであ れば、ビザが必要だ。噂では、かなり大変と聞く。日本に戻ってということも考えてみたが、これはどう考えても上手くいかない気がした。自分で考えても結論 は出ないので、知人から紹介してもらった弁護士に相談することにし、妻とともに訪ねてみた。
相談した弁護士は日系人、しかし日本語はしゃべれない。アシスタントに日本語のできる人が付いてくれた。基本的には英語でのやりとりだが、これは心強い。 そして、自分が駐在員でおよそ1年経ったこと、現在Lビザで滞在していること、Macのビジネスをこの地で始めたいこと、自分たちの経歴を伝え、どんなビ ザを取得できる可能性があるのかを聞いてみた。
その弁護士の答えは、「奥さんが永住権を取りなさい」だった。永住権をサポートしてくれる企業を探して、妻が永住権を申請する。配偶者は、同時に申請する ことが可能なので、私も自動的に永住権が取得できるというわけだ。これは、現在駐在員として務めている会社には内緒で進めないといけないので、妻が申請者 となり私はそれに乗っかる形にするのが得策だというわけだ。
確かにこれができれば最高だが、問題はどうやって永住権をサポートしてくれる企業を探すかだ。弁護士が言うには、「新聞の求人欄を見て探すと良いよ」と言 うのだが。まず、妻は働くことのできないビザで滞在していたので、そのままでは働くことができない。だからその企業が妻を雇いたいと思ったら、永住権をサ ポートする必要があるわけだ。確かに、企業がぜひとも必要な人材として、永住権をサポートすればほぼ確実に取得することが可能だ。しかし、申請から取得ま では相当時間がかかる。当時は、3年程度と言われた。
つまり、新聞の求人欄を見て妻が面接に行く、そこでは「是が非でも欲しい人材なので、3年後に働き初めてもらうために永住権をサポートして上げます。」と 言ってもらわなければならないということだ。しかも永住権を申請するというのは、企業にとっても手間と費用がかかることなのだ。よほどの優れた資格や技術 を持っているならともかく、とても現実的なこととは思えなかった。
これは現実的とは思えない、他に方法はないか? と聞いてみたが、「これがベストな方法ですよ」との答え。相談はここで終わった。
やっぱり無理なのか〜、と暗い気持ちで弁護士のオフィスをトボトボと帰途についたことを覚えている。



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2005年10月07日

実録ビザ取得への道 その14

起業シリーズの続編であるが、前回、今後各ビザについての説明を行うとの予告を行った。しかし前回も書いたように、ビザ関 連の法律は変更や情勢の変化も多く、なまじ素人の知識で解説するのは大きな危険がある。また、各ビザの説明も具体的に必要な人以外には退屈なものだ。そこ で、予定を変更してこれからおよそ1週間に1回のペースで私のビザ取得の体験記をお送りすることにする。

97年10月、某T自動車のエンジニアとしてロサンゼルスのテクニカルセンターに駐在員として赴任することになった。初めての海外暮らしに期待と不安が入 り交じった心境だった。当時私は、ただのMac好きの会社員。米国で暮らす楽しみの一つに、Mac環境が充実しているのではないかという期待があった。な にしろ、カリフォルニアと言えばMacの故郷。コンピューターショップのMacコーナーは充実し、しかも日本と比べて格安ではないかとの期待があった。と ころが期待は大きく裏切られることになる。確かにその数年前までは、Mac関連品の内外価格差は大きかった。ところが、この頃には主要商品の内外価格差は 消滅していた。また、当時はちょうどジョブズがAppleに復帰する頃。つまり、Appleが最もひどかった時期だ。コンピューターショップのMacコー ナーも悲惨で、日本よりもひどい有様だった。

そんな状況で見つけた楽しみが、コンピュータースワップミート。週末に開催される、コンピューターのフリマだ。Apple の凋落が激しかった頃だけに、この頃のスワップミートはMac関連品が多数出ていた。ちょうど日本ではOld Macブームが盛り上がっていた頃で、日本で高値で取引されていたSE/30なども格安で販売されていた。もちろんジャンク扱いなのだが、現物の販売なの で外観の良いものだけを選ぶことができ、なかなか良い買い物ができた。
そうやって、SE/30, 128K, Plus, IIci, Portable, GSキーボードなど、どんどんコレクションが充実していった。そうなってくると余分に買いすぎたものも出てくる。そこで、現副社長が作っていた個人HP 「YumikoのMacな部屋」で個人売買を行うことにした。大体、Mac好きの旦那とMacに理解のない奥様という家庭が多いようだが、うちの場合はむ しろ逆だった。最初にMacに興味を持ち、MacのHPを作ったのも副社長(奥さん)。私はどっちかというと、副社長につられてこの道にはまっていったの だった。
そういうわけで、HP上に個人売買コーナーを作って、余ったSE/30やパーツなどを販売してみた。米国からだけにそれなりに送料もかかるわけだが、反響 は大きかった。当時まだネット通販もそれほど盛り上がってはおらず、また秋葉原等に行けない地域の方々は、Old Macブームと言ってもなかなか入手が困難だったのだ。
大きな反響に気をよくして、スワップミートでは出物があるとどんどん買い付けていった。そうすると、売り手の人達もこれは良いお客だと思ってくれて、単な る客ではなくなってくる。スワップミートではなく、売り手の倉庫に直接出向いて大量に購入なんてこともするようになってきた。何だか、プロの仕入れみた い。これはもしかすると、商売として成り立つかも知れない。そんな風に思ったのは、ロサンゼルス赴任後1年ほど経った頃であった。

続く


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2005年09月28日

米国での起業に必要なもの-5 ビザ3

前回からかなり日数が経ってしまった。Macなネタが無い時には、と思っていたが根っからのMac好きなだけにそうそうMacネタは尽きないのだ。今後は、意識してこのシリーズも取り上げていこうと思う。
さて、日本人として米国で仕事をしたり、起業をするにはそれなりのビザが必要だ。具体的に起業を考えている人には、核心となる部分だ。
まず、米国や日本も含めほとんどの国では、外国人の労働者はあまり来てもらいたくない存在だ。自国民の雇用が脅かされるためだ。自国民ではまかないきれな い専門的な技術を持っているとか、それなりの投資をして新たな雇用を創出するなど、そういう経済や雇用にメリットがあると認められた場合に限って就労ビザ が発給される。きちんと申請すれば必ずもらえるものではなく、むしろ難関だ。
主な就労ビザの種類を上げておこう。

H-1B ビザ;専門職ビザ。多分就労ビザとしては、最も多い形態だ。雇用される企業にスポンサードを受ける必要がある。有効期間 3年間+3年間の延長可能。起業となると関係ないと思われがちだが、必ずしもそうとは言えない。

E-2 ビザ;投資家ビザ。米国に投資した会社や個人、または、その会社や個人に雇用される管理職や特殊技術者に与えられる。企業活動を行う投資が前提となる。有効期間 5年間で何度でも更新可。私の場合、これ。

E-1ビザ;日米間で貿易を行っている日本の企業の社員が、アメリカの支店や駐在員事務所に駐在する場合。
有効期間 5年間で何度でも更新可。

L-1/2ビザ;駐在員に多いビザ。ザックリ言って部長級以上だとL-1, それ以下だとL-2.

永住権;俗に言うグリーンカード。ほぼ米国民と同等の権利があり、就労の制限は全くない。

他にもOビザ(芸能人ビザ)、Iビザ(ジャーナリストビザ)など様々なビザが存在する。次回以降、各ビザについて解説する。
なお、移民法は大変複雑で変更も多く、専門家でなければとても正確には掴みきれない。巷の情報は鵜呑みにせずに、必ず移民専門の弁護士に相談頂きたい。


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2005年08月31日

米国での起業に必要なもの-44

米国での起業ネタ、今回は第4回目。今後、週1回くらいのペースでこのネタを取り上げていこうと思う。
さて米国で起業をしようというからには、米国を知ることが必要だ。それなりに人脈も必要になってくる。米国を肌で知り経験する、そのためには米国に住むことが一番だ。日本在住の日本人が米国に住むことを考えた時、以下のような方法が考えられる。

1. 駐在員など、仕事で派遣されて米国に居住する。
2. 米国企業に就職。
3. 1,2の家族として渡米し、米国に居住する。
4. 留学
5. 長期旅行
6. 米国人や米国永住者と結婚して、米国に居住する。

1は私の実例だ。駐在員としてロスに派遣され、その自由活発な雰囲気から日本では実現可能と思えなかった起業が身近なものと思えるようになった。米国でビ ジネスの経験も積んだ上で独立できたので、この経験は大変貴重だった。駐在のチャンスのある企業で働いている方は、積極的に希望するのも手だろう。
2は米国起業に就職後、独立するパターンである。ただし、外国人である故に現地での外国人としての就職は非常に狭き門で、優れた能力が必要とされる。
3は、家族頼みで他力本願とも言えるが、実はこれらの中でかなり条件的に恵まれている。EビザやLビザの家族としてビザの発給を受けると、米国内で自由に 仕事ができるのだ。駐在員本人は、駐在先以外の仕事をすることはできないが、その家族は自由に就労ができる。これは数年前の移民法の改正によるもので、そ れまでは全く職に就くことはできなかった。幸運にもこのような状況にある人は、この権利を活用してビジネスの経験を積み、独立するのも良いだろう。
比較的ハードルが低いのが4の留学という手段だろう。以前は語学学校でも簡単に学生ビザが発給されたが、年々厳しくなり、気軽に留学はしにくい状況になっ てきている。また、留学中は原則としてアルバイトでも就労禁止のため、ビジネスの経験を積むことは難しい。留学から2を経て独立というのが王道と言えるか もしれない。無論、在学中にしかるべき準備をすれば、卒業後すぐに起業も夢ではない。
お気楽に実行できそうなのが、5の長期旅行。しかし、旅行と居住はやっぱり違うし、就労もできない。とりあえず米国を体験したいというのには良いだろうが、本格的な起業準備とするのは色んな面で難しい。
米国人と結婚すれば、ほぼ米国人並の資格で米国に永住することが可能になる。つまり起業のハードルも米国人並みに下がるわけで、色んな点で最も有利であ る。それ故、偽装結婚をする人もやはりいる。人それぞれだが、結局そう言う人はあまり良い結果になっていない場合が多いので、決して愛のない結婚は勧めら れない。

と一通り米国滞在方法を見てみたが、一番重要なのはモチベーションだ。
留学でまじめに勉強するだけでは、良い成績は取れるかもしれないが、起業という面ではなかなか実現できない。常にどこにビジネスチャンスがあるかを意識して、人脈を作っていくことが大切だ。





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2005年08月23日

米国での起業に必要なもの-34

このBlogの中では、ちょっと趣向の違う米国での起業ネタ。今回は第3回目。
米国で起業となれば、英語が不可欠と思う方が多いと思う。無論最低限の英語は不可欠だし、できるに越したことはない。
まず一番ありがちで大きな誤解その1。「米国に数年住めば英語なんてペラペラになるだろう」。これは全くもって間違いだ。よほど小さいうちに渡米したと か、日本語と全く接点のない生活をすれば別かもしれないが、これは特殊なケースを除いてほぼ不可能だ。米国に住めば、日常会話はある程度のレベルまで上達 するだろう。ある程度のレベルとは、買い物をしたり、頼み事をしたりするのにとりあえずは困らないレベルだ。細かい点を説明しないといけない場面では、結 構困ってしまう。
これ以上のレベルに踏み込むには、ただ米国生活をしているだけではまず不可能。米国留学して英語をマスターしようと考えているあなた、相当勉強しない限りペラペラへの道はかなり険しいと言っておこう。
日常会話がOKというレベルはどういうことかというと、目的がはっきりしている場合は意思疎通がほぼできるが、そうでない場合は途端に厳しくなってしまうと言う状態だ。つまり、ジャンルが一定しない何気ない世間話などが一番難しい。
仕事の面で言うと、一般顧客対応というのはかなりの英語力が必要になる。しかし、目的がはっきりしている職場内での意思疎通や、取引先との交渉などは、日 常会話レベルでかなりいける。これは語学力よりも、ビジネスにおける目的意識の方が重要だ。そう言う意味で、米国での起業という観点では、英語力にそれほ どこだわる必要はないわけだ。それよりも重要なことがたくさんある。
とは言え、やはり英語ができるに越したことはない。米国での起業を考えている方は、ぜひとも勉強されておくことを勧める。そして、ありがちな誤解その2。 「受験英語は役に立たない」。受験英語だろうがなんだろうが、これは間違いなく役に立つ。特に文法がしっかりしていると、後々の上達に大きな差が出てく る。日本で英語を勉強する場合、文法もおろそかにしないように
お勧めしたい。

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2005年07月26日

米国での起業に必要なもの-23

さて、米国での起業の話題2回目だが、果たして興味を持ってくれている方はいるんでしょうか? そう信じての第2回目。
米国でどんなビジネスをするか、まずこれを考えないと始まらない。やはりこれは自分の特技や優位な点を活用したい。そう考えると、やはり外国人としては自 国との繋がりを活用しない手はないと思う。よく、日本との関係に頼らず、アメリカ人と対等に勝負してアメリカンドリームを達成したいという方がおられる。 大変素晴らしい心意気だが、これはかなりハードルが高いことを心しておくべきだ。まず外国人である以上言葉のハンデがある。外国人であることが、色々なハ ンデとなる事は想像に難くないだろう。そんなハンデを物ともせず、アメリカ人と勝負できる自信があるならそれも良いだろう。ただ、これは一部のスーパーマ ン以外には難しい話だ。
ハンデもあれば、外国人ならではの優位な点もある。日本は経済大国なので、外国人の中でもこの優位性は大きな物だ。アメリカにしかない物やサービスを日本 へ、逆に日本にしかない物やサービスをアメリカへ、こういう分野では米国滞在経験のある日本人にとっては非常に優位性があるわけだ。加えて、アメリカはそ ういう起業を志す外国人に対して大変寛大な社会だ。おそらく、アメリカ人が日本で同じ事をする場合、何倍も苦労するであろう。
何も苦労を好んで買って出る必要はないわけだから、こういう有利な点に狙いを定めて起業をするのが、夢実現の第一歩ではないかと思う。



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2005年07月23日

米国での起業に必要なもの-13

このBlogを新装再開した時に起業ネタも扱うことを宣言したが、これまで一度も書いていなかったので、遅ればせながら本日はこのお題目。
私自身、某企業の駐在員としてロスに赴任して、ここでMacのビジネスをやったら商売として成り立つのではないかと思い立ち、小さいながら会社を起こして今日に至っているわけである。日本人が米国で起業するに当たって必要なもの考えてみよう。
時々米国でビジネスを行うに当たってビザ取得はどうすればいいか、と言った相談を受けることがある。確かに、外国人が米国で働く上で大きな壁となるのがビ ザの取得である。ただこれは私に言わせれば、二の次三の次の問題。それ以前に必要なことはたくさんある。逆に言えばそれらがクリアできるならば、ビザだっ て必ず何とかなるはずだ。
まず考えなければならないのは、当然ながらどんなビジネスをやっていかに儲けるかと言うこと。大きな資金があれば比較的簡単に儲かる商売を始めることもで きるかもしれないが、資金が限られていればあなたのアイディアが頼りになる。簡単に始められて儲かる商売なら、誰だって真似をする。結果過当競争となって 儲からなくなる。だから、あなたにしかできない何かを見つけることが鍵だ。
これは他人に納得してもらう必要は全くない。前の会社の上司に退職を申し出た時には、「そんなことで商売になるとは、全く思えない。」と言われた。上司に してみれば、私の計画はキチガイ沙汰と思えただろう。自分の中で確固たる計算と実績があれば、そんな批評は恐れる必要はないのだ。



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