2005年11月10日
実録ビザ取得への道 その5
起業シリーズ「実録ビザ取得への道」の続編です。
無事H-1B ビザの申請を終え、順調にいけば半年後にはビザを取得できVintage Computerを始められるようになる。後は基本的には待つだけだ。その前に、現在駐在員として働いている会社に報告をしなければならない。
安全策を考えれば、ちゃんとビザが下りてから報告するのが良いだろう。しかし、ビザが下りるまで半年も待たねばならないわけで、下りたら即新しいビジネス を始めたかった。ビザだって3年+3年の期限付きなので、一刻も無駄にしたくはない。となると、「すぐに辞めますので、お願いします。」と言うことにな る。駐在員という立場を考えると、これは会社に多大な迷惑をかけるわけで、できれば避けたかった。駐在員の場合、現地のスタッフが穴を埋めることはできな い。新たな駐在員を派遣する必要があるわけだ。この駐在員の教育やビザ取得を考えると、新たな人員を派遣するには最低半年はかかる。Macという自分の好 きなことでビジネスを始めるという目標ができたわけだが、この会社とは喧嘩したわけでもなく、また米国在住というチャンスを与えてくれたことも感謝してい る。できれば会社にかける迷惑は最小限にしたい。そう考えた。
無事H-1B ビザの申請を終え、順調にいけば半年後にはビザを取得できVintage Computerを始められるようになる。後は基本的には待つだけだ。その前に、現在駐在員として働いている会社に報告をしなければならない。
安全策を考えれば、ちゃんとビザが下りてから報告するのが良いだろう。しかし、ビザが下りるまで半年も待たねばならないわけで、下りたら即新しいビジネス を始めたかった。ビザだって3年+3年の期限付きなので、一刻も無駄にしたくはない。となると、「すぐに辞めますので、お願いします。」と言うことにな る。駐在員という立場を考えると、これは会社に多大な迷惑をかけるわけで、できれば避けたかった。駐在員の場合、現地のスタッフが穴を埋めることはできな い。新たな駐在員を派遣する必要があるわけだ。この駐在員の教育やビザ取得を考えると、新たな人員を派遣するには最低半年はかかる。Macという自分の好 きなことでビジネスを始めるという目標ができたわけだが、この会社とは喧嘩したわけでもなく、また米国在住というチャンスを与えてくれたことも感謝してい る。できれば会社にかける迷惑は最小限にしたい。そう考えた。
すると、ビザ取得の予想時期から半年前の今が会社への報告のベストタイミングと思われた。私はロサンゼルスオフィスに勤務
していたが、直属の上司はアリゾナのオフィス勤務だった。大事な話なので、電話でというわけにはいかない。4月に折良く上司と人事関係のミーティング
があり、アリゾナに出張した。
そこで、「独立するため半年後を目処に退職したい」旨を告げた。その時の上司の驚いた表情は今も忘れられない。この米国現地会社は、約30年の歴史があっ た。後から聞いた話になるが、その間多数の駐在員がいたわけで、任期中に退職するのは3人目と言うことだった。一人は同業他社からのヘッドハンティング、一人は永住権が当たり現 地採用となったケース(つまり実質的には退職ではない)だった。現地で独立のために、退職を希望するというのは初めてと言うことだった。
ともかく、会社への報告は終わった。あとはどうなるか、ここまできたら進むしかない。
翌日ロスに戻ると、早速副社長から呼び出しがかかった。「会社を辞めて中古パソコン屋を始めるなんて、全く理解できん!」と言われた。確かにそう言われて も仕方がないだろう。とにかく、本気であり決心は固いこと、後任者が派遣される約半年後まで勤めたいことを改めて告げた。
その後、副社長、人事、本社間で今後について協議が行われた。大筋については、数日で結論が出た。そして、自分の考えがいかに甘かったか痛感したのだった。
そこで、「独立するため半年後を目処に退職したい」旨を告げた。その時の上司の驚いた表情は今も忘れられない。この米国現地会社は、約30年の歴史があっ た。後から聞いた話になるが、その間多数の駐在員がいたわけで、任期中に退職するのは3人目と言うことだった。一人は同業他社からのヘッドハンティング、一人は永住権が当たり現 地採用となったケース(つまり実質的には退職ではない)だった。現地で独立のために、退職を希望するというのは初めてと言うことだった。
ともかく、会社への報告は終わった。あとはどうなるか、ここまできたら進むしかない。
翌日ロスに戻ると、早速副社長から呼び出しがかかった。「会社を辞めて中古パソコン屋を始めるなんて、全く理解できん!」と言われた。確かにそう言われて も仕方がないだろう。とにかく、本気であり決心は固いこと、後任者が派遣される約半年後まで勤めたいことを改めて告げた。
その後、副社長、人事、本社間で今後について協議が行われた。大筋については、数日で結論が出た。そして、自分の考えがいかに甘かったか痛感したのだった。